狭山茶のはじまりって?

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狭山茶(さやまちゃ)起源(きげん)

いるま野地域(のちいき)にはじめてお(ちゃ)がもたらされたのは、鎌倉時代(かまくらじだい)京都(きょうと)高僧(こうそう) 明恵上人(みょうえしょうにん)が、「武蔵河越(むさしかわごえ)()」(現在(げんざい)のいるま()地域(ちいき))に 栽植(さいしょく)したのが(はじ)まりと()われています。 本格的(ほんかくてき)茶業(ちゃぎょう)として(はじ)まったのは江戸時代(えどじだい)から。 当時(とうじ)畦畔茶(けいはんちゃ)(はたけ)などのまわりに()えられる(ちゃ)垣根(かきね))のようなものであったそうです。
(ちゃ)(おも)出荷先(しゅっかさき)江戸(えど)でしたが、 安政(あんせい)開港以来(かいこういらい)生糸(きいと)とともに日本(にほん)代表(だいひょう)する輸出品(ゆしゅつひん)として 横浜(よこはま)から海外(かいがい)へも出荷(しゅっか)されました。 明治(めいじ)(はい)ってからは川越(かわごえ)高林謙三(たかばやしけんぞう)により製茶機械(せいちゃきかい)発明(はつめい)され、製茶業(せいちゃぎょう)として発展(はってん)(あじ)のよい狭山茶(さやまちゃ)特産地(とくさんち)として全国的(ぜんこくてき)()()せています。